音声に関しては、私にとっては生命の外のものであり、借りている時間です。それは完全に私のものではなく、私はいくつかの瞬間において完全にそれに属しています。石を投げるようなもので、その瞬間は波紋を引き起こし、私の人生に広がっていきます。
私は波紋の形状にも非常に注意を払っています。個人的には、衝撃的な波紋は好きではありません。ゆっくりとしたものが好きです。ええ、石を投げると、反響を聞いて石がどこにあるかわかります。反響を分析するために少し頭を使うことは、知能が必要なことです。
分析した後に反応するかどうかも選択の一つです。私は自分が何を追求しているのかを定義することはできません。音楽などの何かしらです。なぜなら、それは自分の人生の外で別の人生を再現するようなものであり、死ぬまで終わることはありません。意味はないけれど、やらなければならないのです。薬物をやるよりもこれをやる方がましで、報酬も反比例ではないです。
昨晩書いたもの(上記)を一晩置いて見ると、本当に純情で中二病みたいですね。ちょうどメールに返信していたところ、隣に座っていた A が突然「なんでそんなに悲しそうに見えるの?」と訊いてきました。私はびっくりしてしまいました。そうですか?そして嘘をつきました。
A のような友人とは、お互いにこれから数ヶ月後にはもう会わないことを知っているはずですね。友情は軽やかです。彼は昨日、私が授業に行くのを見たとき、顔が花のように咲いていました。
それでは、行ってきます。